バーボン16年間の思い出

初めて家に来たのはバーボンが生後3ヶ月。
秋の肌寒い頃でした。
心を開かずシャイな男の子。
我が家の末っ子です。
食の好みがうるさく嫌いな食べ物(ドッグフード、特に硬いやつ)は絶対に口にせず、2日間食べないこともあったよね。
鶏胸肉が大好きだったけど、それ以上におやつが大好きで、ご飯を完食しては“食べたよ”アピールでじっと見つめ、スペシャルおやつをおいしそうに食べてたよね。
そんなバーボンが大好き。
朝の散歩が終わると、家中を走りまわり、布団で寝ている私の上を容赦なく踏み走り、それが目覚まし代わりでした。
時々布団の前で寸止めし踏まれずに済むこともあったけど、それもそれでビックリするんだよ!
外ではおとなしくしているけど、家では王様気取りで、それもまた愛しいのです。
若い頃は海山に一緒に行ったよね。
小心者だから海は怖がっていたけれど、キャンプは楽しかったな。
おじいちゃんになってからは、あまり出かけられず家の中が中心だったけれど、バーボンがいる家はみんなの癒しでした。
楽しい時も、つらく悲しい時も、いつもそばにいてくれてありがとう!!
大好きだよ。愛してるよ!

エステラ(長野県佐久市)

I love Ron.

大好きなロンちゃんへ
生まれて3ヶ月、友人宅より我が家に来たロンちゃん。
うちの夫は“ゴンちゃん”と呼んでいたが、毎朝の散歩に嬉しそうに行ったネ!
先に家にいた姉ちゃんチワワのナナちゃんとは、1年違いの誕生日。
一緒の姉弟のように仲良しだったネ!
ロンちゃん(チワワ)はお姉ちゃんが大好き。
ゲージは別々だったのに、いつもロンちゃんが脱走してナナお姉ちゃんのゲージにこっそりお邪魔していたネ!
散歩もロンちゃんが先に行き、後から見守るように奈々ちゃんがついて行きましたネ!
お姉ちゃんが先に亡くなってからは、ロンちゃんは散歩に行っても、いつも途中で後ろを振り返っては寂しそうに帰って来ちゃいましたネ!
天国へ行ったら、お姉ちゃんに会ってまた楽しく遊んでネ!
家族にはいつも元気な姿を見せてくれてありがとう。
元気に孫達とも散歩してくれ最後まで人気者のロンちゃん。
これからも遠くから私たちみんなを見守っていてくださいね

クリボウ(長野県佐久市)

一緒に過ごした時間

縁があって出会えました。
こんなに小さくて生きられるのかと思いました。
元気に生きてくれました。
一緒に歌をうたってくれて、「ごはん」「食べる」など言葉も話してくれました。
10年しか生きられなかった、10年も生きてくれた。
あまりにも突然で、なんで、なんで、なんで!
最後はトリマーのお姉さんがきれいにして下さり、生きている時のまま、寝ているようで。
もう抱っこできないのね。
10年間ありがとう!

ラムのママ(長野県佐久市)

ありがとう チビ太君

お父さんが好きで好きで大好きで、車の音がするとバタバタと動きはじめ「帰ってきたよ、お父さん!」と知らせてくれましたね。ありがとう。
子供達全員親には言えないこと、色々な出来事、内緒話、たくさんたくさん聞いてくれて、勇気づけてくれてありがとう。
ランドセルを背負ったままあなたを抱っこしている子供たちの姿忘れられません。ありがとう。
最後の最後まで、あまり手をかけさせず元気だったね。
「お父さんありがとう。お母さんありがとう」と言っていたのか、ずーっと目をそらせずに見ていた姿、あれが最後の姿。
思い出すと涙が止まりません。
淋しいけど仕方ないよね。
色々と本当にありがとう。感謝です。
みんなの心にいつまでもいつまでも残っているよ。ありがとう。

チビまま(長野県小諸町)

優しい子

性格が本当に優しい子で、泣いていたりすると近くに様子を伺いに来てくれるそんな子でした。
18才という高齢になってもそれは変わらずにいてくれました。
今から2、3年前ぐらいに当時小学校に通っていた甥が家に友達を連れて来て、大人が誰も家にいない家の中に友達をあげたくて、その当時はコユキの他にうめ吉というオスのチワワがもう一匹いました。
その子は気性が荒く子供によく吠えていたため、おやつで犬を誘い吠えればまたあげるの繰り返しをしていたようでした。
コユキも食べ過ぎて、私たちが夕方家に帰るとお腹はパンパンで、吐きたいけど吐けず便も出ず苦しくてもがいていました。
そのため夜間帯になる前に開いていた動物病院へ。
すると先生から衝撃的な一言が、「胃の中に食べ物が入りすぎていて、今すぐに出さないと死んでしまいます。手術して出すことができますが、高齢なため手術に耐えられるかやってみないと分かりませんがどうしますか」と注射して家に帰るつもりが、そんな話をされ「とにかくお願いします」と泣きながらお願いしました。
コユキの生命力と運にかけるしかありませんでした。
祈ること2時間、手術は無事成功。
その後元気になり、またご飯もたくさん食べられるようになりました。
それから、共に過ごしていたうめ吉が心臓病で先に亡くなり、寂しくて泣いている姿をコユキは見ていたようでした。
今までうめ吉がやっていた出かける前や帰ってきた時の玄関のお見送りやお出迎えをコユキがしてくれるようになりました。
コユキの方が2年も先輩なのに、元気に走り回って遊んでいた姿をたくさん見せてくれました。
しかし、今年の2月ぐらいに便がゆるく下痢が続き、大好きなご飯を食べなくなり元気がなかったため動物病院へ、するとかなり脱水になっており補液をすることに。
1週間に2回連れて行き、少し元気になり、でもまた下痢になるとご飯が食べられない。
初め連れて行った時は、このままご飯が食べられなければ5日で死んでしまうと言われてましたが、あの2月から最後の日7月10日まで本当に頑張ってくれました。
最後の日2日前には、私の祖父が亡くなり、お葬式の準備で家を空け、1人で留守番させてしまうことになりましたが、ちゃんと夜まで私が帰って来るのを待っていてくれました。
亡くなる当日の深夜も寝息を立てて寝ているのを確認し、私もつい寝てしまい、「ハッ」と朝4時半に目覚めコユキを見ると息をしていませんでした。
きっと私が見ている前では悲しむのが分かっていたから、私が寝てから静かに最後を迎えたかもしれません。
本当に最後まで私を守ってくれる優しい子でした。
今まで本当にありがとう。
幸せをたくさんありがとう。
何より家の子になってくれてありがとう。
またいつか会える日まで、虹の橋で待っていてね。z

匿名希望(長野県佐久穂町)