イヌやネコのデザインの「県内在住」ステッカー

まだまだ感染者の出ている都道府県があるので、新型コロナウイルスの感染防止のため県境を超えるのは自粛すべきですが、この意識が過剰になって「自粛警察」なる行動も起こっています。
長野県内に住んでいても、なんらかの理由で県外ナンバーの方は多いでしょう。
そんなマイカーのためのステッカーを松本市の看板製作会社が制作販売してるのですが、そのデザインが可愛いんです。
イヌやネコがデザインに使われています。

「「県内在住」ステッカー好評 でもナンバー登録変更の手続きを 長野」

「吹き出し」の形状をしたステッカーには、「わたしは長野県に住んでいます」と、県内に在住していることを知らせるフレーズが入っている。黒と赤と青色を基調とし、イヌとネコのデザインが施されたものなど、計4種類そろえている。

行き過ぎた行動を抑えてくれるような優しさを感じさせてくれます。
長野県ナンバーでもこのステッカーを着けたくなるくらい素敵なデザインですね。
看板製作会社「アートプランニング」のホームページはこちら(https://artplan-web.jp/)<

ありがとう小麦

1歳の誕生日を過ぎてウチに来た小麦。
最初はゲージから飛び出してお父さんと3メートルの距離を保って30分。やっとウチに入ってきたね。
散歩も尻尾がだんだん上がるようになって、甘えん坊でみんなに可愛がられたね。
いつも頭を乗せて甘えてくる仕草に皆んな嫌なことがあっても癒されて元気を貰いました。
少し先に逝ったマリンと仲良く遊んでね。
ありがとう。いつまでも大好きだよ

お母さん(長野県木曽郡)

ありがとう

50年近く住んだ横浜の家に時々来ていた変な横すわりする猫。
おじさん臭いその座り方に”おっさん1号”と呼んでいた。
いつからか姿を見なくなり、どうしてるかと思っていたら、2年ぶりに近所で見かけた彼は やせ細った姿で、空き家の庭に入っていくところだった。
その年の9月、軽井沢への引越し直前のある日、雨戸を開けるとそこには、ボロボロの”おっさん1号”が…。
この日から我が家での、生活が始まった。
保護犬1匹、保護猫6匹がすでに居たので、自分の居場所を求めて半年以上鳴いていたね。
新築の家中にマーキングして毎日そうじが大変だった。
でも去年の冬くらいから、なでなでさせてくれるようになって、仲間と一緒のソファーでストーブにあたったりもできるようになった。
あのユニークな横すわりは、腰が痛かったんだね。
エイズのポジティブで 腎不全も患ってたけど、隔離は考えなかった。
おーちゃんはいつも 皆んなと一緒に、同じようにすごしたいと思っているのが 分かったから。
短い間だったけど、 楽しい時間を ありがとう。
なでなで して欲しかっから、いつでも いつもの場所から呼んでね。
またたびパーティーにも参加してね。
皆んなと仲良くしてくれて ありがとう。
大好きだよ、おーちゃん。

ケロママ(長野県軽井沢町)

「ゆず」と「のら」とお父さん

まだ足が立たないほど生まれて間もないゆずが家に来たのは娘が中学2年生の時だったね。
2人で2時間おきの世話を1か月くらいがんばってました。
動きが遅いからまだ綱はいらないと思ってるうちにまたたく間に綱が必要になりましたね。
親犬から離されてキュンキュンよく鳴いてましたね。
いっしょの布団に寝かせると安心したのかよく眠ってました。
ゆずは言葉がよく分かっていて、人間かと思うほどの時がありました。
しつけ練習もよくしてましたね。
下痢した時に正露丸を飲ませようとしたら、どうしても飲んでくれなくて困ったのでお父さんが「この薬はまずいけどがんばって飲むとお前の腹痛がよくなるでがんばって飲めよ」と言って聞かせると、がんばって飲んで下痢が止まったね。
まだ子どもだったゆずを、大人の猫ののらがゆずにすりついてきて、お友だちになってゆずの餌を分けてもらって食べるようになり、ゆずにベッドを用意してあげたら、ゆずとのらが一緒に丸くなって寝ていたね。
犬小屋を作ってあげたら、朝になるとゆずの後ろからのらが出てきて、まあのらはうちのゆずをたぶらかしてごはんを分けてもらい、寝床も確保したんだと思いました。
そしてのらもうちの猫になり、ゆずとのらはいつも仲良く一緒に居るようになりました。寒い日はゆずの上にのらが乗って暖をとってましたね。
ある秋の夕方、ゆずに餌をやっても食べないので、のらを待ってるのだと思い「これはお前のまんまだから食べていいんだよ!」と言うと「あっわかった」と言わんばかりに理解して食べはじめ、半分は残してました。のらの分を残してあるんだと思いました。
やがてのらが帰って来ると、ゆずもうれしそうにのらと一緒にごはんを食べていました。ゆずは「私よりえらい」と思いました。
ある日、お父さんがゆずのしっぽを踏んでしまいました。それからゆずはお父さんを無視するようになりました。
お父さんに「ゆずに謝った方がいいよ」と言っても、あいつは犬だし俺は人間だ。あいつは飼われている身だし俺は飼ってる身だ、謝る必要はないと言って謝らないでいました。
ずっとゆずに無視されて、お父さんはまるで失恋したようだと言ってました。
ある日の夕方、お父さんがゆずに「しっぽ踏んでごめんよ痛かっな」と謝っていました。
その途端、ゆずはお父さんを許してもっと仲良くなりました。
ゆずにも自尊心があるし、しっぽは大事だと思いました。
「ゆず」と「のら」と「おとうさん」のたのしいお話はいっぱいあります。
「ゆず」が来てくれたおかげで「のらちゃん」も家の猫になり、家族をつないでくれてほんとうに幸せな時間でした。
「ゆず」家に来てくれてありがとう!
13年間、ありがとう!

さっちゃん(長野県茅野市)

一番下の妹

柚子がやってきたのは13年前、私が14歳の時でした。
出会いは山梨の譲渡会場、野良犬の子供でした。はじめて見た時は他の兄弟と違ってどーんと小屋の中で寝ていました。この堂々とした姿に一目惚れして、連れて帰ることにしました。
生後2ヶ月で家に来たので最初は夜泣きが大変でした。
それでも可愛くて可愛くてたまりませんでした。
ある日、柚子の小屋に猫が来るようになりました。
はじめてのお友達に柚子は嬉しくて嬉しくて、ごはんを残しておいて一緒に食べるようになりました。
それから一緒に寝たり、猫と暮らすようになりました。
猫の名前はのらです。柚子とのらはとっても仲良しで、いつも一緒に居ました。冬の寒い日は柚子の上にのらが乗って暖をとっていて、その姿に家族だけでなくたくさんの知人、友人が癒されました。柚子はとっても優しくて決して人を噛んだり威嚇することはありませんでした。どんなに痛くても、ごはんを横取りされても怒ることは無かったです。柚子は家族の中心で、いつも話題は柚子とのらのことばかり、犬ということを忘れてしまうほど、思いやりがあって人懐こくて、ほんとうに可愛い子でした。
落ち込んでる時、何度、励まされたかわかりません。
家族みんなが柚子のことを愛していました。
いつかしゃべれるようになるのでは?と思うほど、話しかければ答えてくれました。
亡くなる1ヶ月前に私は里帰り出産のために実家に帰ってきました。
1ヶ月間、柚子と楽しく過ごすことができました。毎日、おはよう、おやすみ、柚子は可愛いね、世界一だよってたくさんお話出来たことは良かったと思っています。
心臓が悪かったことに全く気づいてあげられず、最期は苦しい思いをさせてしまいました。ごめんね、気づいてあげられなくて。本当にごめんね、頑張ったね。偉かったね。
6月3日16:15
体調が良くなさそうだったので柚子を撫でていました。
横になっていた柚子が突然立ち上がり、水を吐いた時、ただ事ではないと思い、舌の色を確認したところ紫色になっていて、急いで、すぐ見てくれる病院へ行きました。
車で向かう最中、脱糞もしてしまいました。
たくさんの検査をして、注射をしてさぁ、帰ろう。
車を発進させて少ししたら柚子の意識はもうありませんでした。呼吸を僅かにする柚子に声をかけながら、なんとか家族の待つ家へ帰りました。
頑張ったけれど、家の本の手前で息を引き取りました。
本当によく頑張った。
心臓がほとんど動いてなくて血を送ってない中、病院の診察室へ入る時は自分で歩くと言ってた自ら向かいました。
家にはじめてきたときと一緒。
お父さんが運転して、私が柚子を撫でている。
最期も同じだったね。
ありがとう、私に看取らせてくれて。
ありがとう、家に来てくれて。
ありがとう、大好きだよ。
柚子のような優しい、可愛い犬は居ないよ。
柚子が1番だよ。ありがとう。
13年間ありがとう。

のの(長野県茅野市)